蜘蛛の巣の枯れ葉のゆるるかたへ過ぎあゆみとどめつ何か忘れて

桑原正紀  『秋夜吟』青磁社  2019年

散歩をしていると、なんでもないものがその日にかぎって目に留まることがある。昨日もそこにあったはずなのに、やり過ごしてきた木立や柵や空き缶。日常とは見えていないもので作り上げられているのだろう。普段はたいがいのものは見過ごしながら生きている、それでいいのかもしれない。

この歌はそんな日常感覚からふっと意識が逸れている。散歩道の途中だろうか、木にかかった蜘蛛の巣ある。そこに枯れ葉がひっかかり風に揺れている。それだけのこと。普段なら何気なく見過ごして素通りしてしまう。でもこのときは、その傍らを過ぎた瞬間に、なにか喚起されるものがあり、そこを通り過ぎることができず、あゆみを止めてしまう。何が歩みを止めさせたのだろう。蜘蛛の巣に枯れ葉が揺れている、かすかではかないモノの気配。喚起されたのは、あまねく無へ押し流されてゆく滅びの予感か、あるいは流れ去る時間のなかで、それに抵抗するようにこの世界に確かに存在するモノの一瞬の輝きか。

この歌はそこにはなんの説明もしていない。無駄なおしゃべりは無用だ。ここには何事も起こらない世界の静謐さだけがそっと差し出されている。その静けさのなかで作者の想念は風に揺れる枯れ葉のように自足して軽々と遊んでいるのだろう。日常の煩わしさから解かれて、何か忘れて、自由になって。

こういう安らぎこそが幸福なのかもしれない。幸福は探し求めてもたどり着けなくて、通りすがりの蜘蛛の巣みたいなもので、たまたま見つけてしまうものかもしれない。