どのやうな手もやはらかにしてくれるクリームください焚火の色の

多田愛弓 『未来』4月号  第74巻第3号 2020年

 さりげなく柔らかに読み流している口調がそのまま短歌の音数律にぴったりと収まっている。音を合わせると言うより抒情がそれにふさわしい韻律を呼び込んだみたいになめらかだ。この音感のよさだけでも読んでいてうっとりさせられる。

冬にはだれも手が荒れやすい。そんな日常的な場面から始まって、すこしだけ位相をずらす。〈どのやうな手も〉とすることで、荒れた手は自分のものという個別性を離れて、だれの手でもあるという普遍性を帯びてくる。その手はおそらく心の換喩であろう。だれだって、多かれ少なかれ心に傷を持ち、それをどうにもできずに傷跡だらけで生きている。作者はその傷跡をやわらかに癒してくれる〈クリーム〉をくださいという。あくまでも日常の場面から離れずに、救済への希求を言葉に置き換えている。このやわらかな言葉が、まるでクリームのように読む者の心を癒してくれる。

ここまで読んで、最初の〈どのやうな手も〉のフレーズが気にかかる。〈どのやうな手も〉と言われている手は、複数の手、というのではなくてやはり、私の悲しみの手ではないか。もう元に戻もどれないと分かっている、絶対的な傷を負ってしまった私ということではないか。そう思うと、このやわらかな口調にふかく覆い隠された喪失感が湛えられているように思える。

取り返しがつかなく失ってしまったもの。その不在を、空白を埋めるクリームをくださいと強く愛惜しているのではなかろうか。大きな悲しみであるのだけど、その悲しみを嘆かず、今はそのままを静かな気持ちで眺めている。それは亡くしたものへの郷愁のようでもあり、その思いが一首に〈焚火の色〉のようにあたたかい救済を与えている気がする。平易な言葉のなかに深い思いが貫いていて心に残ってしまう。

背もたれに午後の日差しのあたたかく秋の別れにしては上出来 『未来』3月号