山中千瀬『さよならうどん博士』(私家版:2016年)
鍋焼きうどんだったのだろうか。あるいは、単にできたてか。自分は猫舌なのでこういうことはよくあるが、うどん博士ともあろうものがおうどんに舌を焼かれてしまうのである。ただならぬ事態である。かくてうどん博士はうどんへの復讐を誓って海原をゆく。海原をゆく、の定型句っぽさが一首の滑稽みを増している。
最初にこの歌に接したときは単なる笑いの歌かと思っていたし、今もその解釈は変わっていないのだけれど、寓意の歌とみても面白いかも知れない。なにも深刻な寓意でなくとも、飼い犬に手をかまれるような、うどん研究に一生を捧げてきたであろううどん博士がその他ならぬおうどんに舌を焼かれてしまうという、運の悪さというか、皮肉な運命というか。運命とまで言うのは大袈裟なようでいて、同じ作者の次の歌を思い出すとき、やはり運命というのが作家に流れる通奏低音のようなものなのかも知れないと思わされる。
永劫回帰のなかで何度も死ぬ犬が何度もはちみつを好きになる 同
ちなみに、ニーチェのツァラトゥストラは永劫回帰を悟ったまさにそのとき、たしか犬の遠吠えを聞いていたはずだ。