恨みの数つもりて老いは苦しきにいにしへびとは太鼓打ちたり

馬場あき子『太鼓の空間』(2008年)

太鼓を打つ。それは、動物の皮などでできた膜をたたくという単純な動作。空間や身体に響きわたり魂をゆさぶるような音。
太鼓には誰もがひきこまれる不思議な魅力がある。

この歌を読んでまず、はかりしれない愛を感じた。背筋がぞっとするような愛。
たとえば。源氏物語の六条御息所の深い恨み、怨念は、もとをたどっていくと光源氏への愛情にいきつく。
あるいは鼓ということから、能『綾鼓』の女御に恋をした老爺も思い出す。
憎しみや恨みは、愛が存在しないところにはうまれない。
しかしながら、愛からはじまっているとはいえ、やはり「恨み」は、冷たく恐ろしいものだ。
それが、太鼓の厳然とした存在感や、奏でるときの陶酔と綯い交ぜになって、一首のなかでせまってくる。

齢を重ねることの素晴らしさと醜さ。
ひとはどんな時に自分のなかに積もっている「恨み」を意識するのだろう。
「恨みの数」と愛の数はどちらが多いだろう。

考えているとほんとうに苦しくなる。
こんなときにもまた、こころもちは、太鼓を打てば晴れるのだろうか。

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