大松 達知


むらぎものいかなる闇に落つるらむ言ひさして熄(や)むことばひとひら

関口ひろみ『あしたひらかむ』(1998)

 

 あらためて「広辞苑」を引いてみると、枕詞としての「むらぎもの(群肝の)」はあって、「むらぎも」はない。

 だが、現代短歌では、「むらぎも」は「内臓全体」というような意味で使われている。

 「四十代半ば過ぎつつ臓器群(むらぎも)は夜も働きて老いゆくらむか 高野公彦『水行』」がわかりやすい。

 「らむ」も誤用が多い単語。「現在推量」(今~しているだろう)であって、「む」とは違う。

 「熄む」は、「なくなる、ほろびる」の意味。「終息する」の「息」はもともと「熄」である。

 つまり解釈は「今、体の中のどんな闇に落ちているのだろうか? 言おうとして言わなかったまま消えた一語の言葉は」となるだろう。

 言霊を持ち出さなくても、言いかけたまま呑み込んでしまった言葉の行方が気になる気持はわかる。

 「好きだよ」とか「おいしかったなあ」とか、あるいは「ダメだよ」とか「嫌だなあ」でもいい。

 脳の中で生まれた言葉は確実にこの世に存在した言葉なのだ、という思い。

 それが口から出て空中に消える場合もあれば、自分の体内に沈んで行方不明になる場合もある。それを供養するような、いとおしむようなやさしさのある一首だ。

 ひとつひとつの言葉に愛着を持って、言葉すべての母のような気持ちで言葉を考えたのだろう。

 一語のはかなさと同時に存在感を感じさせてくれる一首である。