森岡貞香『白蛾』(1953)
暗闇に月の光が明るく射すと、その瞬間、梅の樹(バイジュ)は空間の中に黒い罅割れとなって食い込むのであろうか、という意味だろう。
言葉は平易である。
しかし。想像してみて欲しい。
一本の梅の木(もちろん花はついていない状態)が梅の木という生き物として暗闇にじっと潜んでいる。すると、雲間から月の光がすーっと射す。そのとたん、世界は一変し、その梅の木は梅の木としての存在を保ちながら「ひびわれ」に変身するというのだ。
意味も映像も平易だ。しかし、難解だ。
ひびわれには実体はない。虚と実が逆転して存在する世界を幻出させているのだ。
そして、その実体のないはずのひびわれが、さらに月明かりの空間に「くいこむ」というのだ。力技だ。
そのとき、空間と梅の木はまったく身動きのない完璧な状態に固定される。刺し違えた瞬間の愛の姿のようなイメージ。
抽象絵画でさえも表しえなかった幻想的な世界。理屈を超えた森岡ワールドである。
「空間」という語は硬いけれど、これ以上の引き締まる言葉はない。ここでは、抽象と具象の間の橋として機能している。
「ひびわれのやうに」とか「くひこむやうに」という比喩に流れずに、あたかも現実の具体的現象であるようにのべたところから歌の底力が湧いている。