岩尾 淳子


風を切る音聴きたくて振り上げたサランラップの芯振ってみる

 

       竹内亮  『柊と南天』 3号 2020年

 

『柊と南天』は塔短歌会所属の昭和48年49年生まれの同学年の集まり。

 

 

ことばに風が吹き抜けてゆくような軽やかさが心地よい。風を切る音、というと屋外を走る風の音を想像するけど、ここではどうやらキッチンのあたりのよう。サランラップの芯が登場する意外性が新鮮だ。抒情的なフレーズを押し出しながら、ふっと足元をはずされるのが楽しい。サランラップの芯が、外で風に鳴る木の枝のようにきらきらと輝いている。ここではサランラップという音も、風のような弾みがあって効果をあげている。いきいきとした自由な発想によって言葉のセンスが光っている一首。

 

中田明子

くらき海ほたる烏賊あふれ口数のすくなき街と遠くつりあう

 

ほたる烏賊とあるから季節は春だろうか。今年の春は新型ウイルス感染拡大の影響で自粛期間が続いた。口数のすくなき街、はそんな人通りの絶えた街のたたずまいを言っているのか。ただ、コロナ読みをしないほうがこの歌のふっくらとした言葉のよさが生きるような気がする。ほたる烏賊がはなつ青い光、その海の豊かな華やかさと、しずまりかえった街とのイメージの往還。人通りの絶えた夜の街は、まるで海のなかのように青くて美しい。

 

中島奈美

昨日生まれ今日も生まれてきっと明日も常ならぬことの常にある日々

 

どう読めばいいのかちょっと戸惑う。とにかく、日々の現実のなかでは次々と新しい出来事が起こる。それを、何かが生まれ続けていると、肯定的に捉える感性がとても楽天的で驚いてしまう。なかにはそれほど歓迎されないことも起きるのだろうけど、それも含めて受容してしまう活力が伝わってきて、眩しい。

 

乙部真美

木々の枝が切り絵のようだその昔ガス灯を点ける仕事をしたな

 

木々の枝が切り絵のように見えるのは、葉を落とした冬の街路樹のような気がする。空気が澄んで街の灯りに浮き上がるような枝の美しいシルエットが目に浮かぶ。そこから、想念はふっと飛んで、かつてガス灯を点ける仕事をした、と呟いている。長い棒をもってガス灯を点けたのは、もう100年以上も前の事。そのころ点灯夫だったというありえない記憶が差し込んでくることで、歌が異次元に誘われる。こころをこんなふうに遊ばせる歌は楽しい。

 

あと、印象に残った歌をあげます。

 

丘村奈央子

自粛などお構いなしに広がったサニーレタスの一枚を捥(も)ぐ

加茂直樹

マンションの前後にさへぎるものの無くふああんふおおん風は吹き荒る

 

永野千尋

どうしても三重跳びができなくてちょっと月まででかけてきます

 

永田淳

水の面をはつか凹ませ幾重にも展がる雨の焉り見ていつ

 

池田行謙

百日紅の花に紛れてふるホタル長くて短い祭りのように