脱ぎ捨てた服のかたちに疲れても俺が求めるお前にはなるな

奥田亡羊『亡羊』(2007年)

ひとはひとを操作できない。

いつのまにか相手に自分の理想を求めてしまう。しかし理性は「俺が求めるお前にはなるな」と伝えようとする。
一方、誰でも愛するひとに愛されたいとの願いを持ち、相手の求める自分になりたいと考えるときもある。それも本当のところ。
そうした屈折した感情が、語りかけたほうにも、言葉を受けとめたほうにも、渦巻く。

「脱ぎ捨てた服」とは、中身のない服、だが誰かが身につけていたときの形のなごりがある服。
「脱ぎ捨てた服のかたちに疲れて」は、きちんとたたまれているわけではない皺くちゃ服のように疲れて、ということなのだろう。

疲れた身体はこころも疲れさせる。またこころが立ち上がらないとき、身体はおもうように動かない。
そうすると流れに任せて、守ろうとしてきた自分の在りようさえも一瞬どうでもよくなる。
けれど、やっぱりそれは幸せな結果をもたらさない。

この歌のなかの男はちょっとかっこいい。
「俺が求めるお前にはなるな」といいながら、理想のじぶんを追い求めているようにもみえる。
つまり、「俺」は理想的なじぶんでいるから、「お前」も理想的な他者でいてほしいと願っているのではないだろうか。

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