吉田 隼人


いい歌をつくろうとしていい歌はできないけれど生きやすくなる 逆もまたそう

斉藤斎藤「ミヤネ屋を見る」(『ユリイカ』青土社:2016年8月増刊号)

いい歌を作ろうとしなくなってからどれくらい経つだろう。いい歌を作ろうとする気負いのようなものが、すっかりなくなってしまった。そのせいか、生きづらくなってきた。この生きにくさはいい歌を作ろうとしなくなったことに起因するのだろうか。

いい歌を作ろうとしていい歌ができるものではないが、いい歌をつくろうという気負いがなくなってしまってはいい歌は本当に作れなくなる。歌はどうでもいいという気分になってしまうと、生活もどうでもよくなってすさんでいくのかも知れない。あるいは生活がすさんでいるからいい歌が作れなくなるのか。

またいい歌をつくろうという気持ちを取り戻せたら、この生きづらさももう少しなんとかなるだろうか。