あらずともよき日などなく蜉蝣は翅を得るなり死へ向かふため

横山未来子『花の線画』(引用は山田航編『桜前線開架宣言』左右社:2015年)

このところ一日を無駄に過ごしてしまうことが多く、そのとき自戒半分なぐさめ半分でこの歌を思い出す。「あらずともよき日などな」いのだ。地中で幼虫としてその生涯のほとんどを過ごすカゲロウにとっても、また。

長い年月を地下で過ごしてカゲロウはついに羽化してうすい、透き通るような翅を得る。その翅を広げてカゲロウは一心不乱に飛んでゆく。その先に待っているのは生殖、そしてすぐに死である。

長く地下で過ごしてせっかく得た翅もそれは死へ向かうためのものに過ぎない。にもかかわらずそれもまた「あらずともよき日などなく」なのだ。われわれもまた死へ向かうために生きている。