ニコライ堂この揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり

           北原白秋 『黒檜』(「現代短歌全集」第8巻 筑摩書房より)

 

糖尿病を患っていた白秋は、昭和12年(1937年)に眼底出血のため御茶ノ水の杏雲堂病院に入院した。すぐ近くにはニコライ堂があり、その美しい鐘の音は視力の衰えた白秋の気持ちを和らげたことだろう。下の句は童謡を思わせるような平明な表現によるやわらかなリフレイン、そしてのびやかではみ出すことに抵抗を感じさせない大胆な字余りは新鮮であり、至福感さえ感じさせる。白秋の創作は短歌に限らず、詩や童謡などひろく展開していた。そのせいか、短歌の湿っぽさを払拭して言葉が明るく自在に動いている。ここでは夜空になりひびく鐘の音がゆたかな韻律によって実現されている。このように気力がおとろえても白秋の言葉の音楽性は紛れもない。この歌を繰り返し読んでいると、鐘の音が輪唱のようにいつまでも鳴り響いている。一首の歌の中に聖なる空間がひろがり、はるかな永遠性が香り立つようだ。

ところで、この歌には「降誕祭前夜」という題がついている。クリスマスイブに詠まれたものらしい。そんな背景からふとテニスンの詩が頭にながれる。テニスンの代表作である『イン・メモリアル』という長い詩にこんな一節がある。

 

もう程なくキリスト降誕を祝いまつる日。

月はかくれ、静かなる今宵。

降誕祭の鐘の音は丘から丘へ

夜霧のなかを木霊にこだまする。

 

あたりの四つの村々の、四つの鐘の音が、

遠くまた近く、牧場を越え、野をわたり、

大きく鳴り、また細く鳴る、

さながら扉を隔てて聞くように。

 

四つに聞こえる鐘の音は、

風に吹かれて大きく鳴り、また細く鳴る。

安らぎあれ、恵みあれ、恵みあれ、安らぎあれ、

人類すべてに安らぎあれ、恵みあれと。

 

岩波文庫「テニスン詩集」より

 

テニスンの詩は宗教的であるけど、白秋の歌と共通する、悲しみ悩む魂に安らぎを与えるような美しさがある。詩とは本来このようなものを言うのだろう。