狂はない時計を嵌めてゐる人と二度逢ひ三度逢ひ明日も逢ふ

光森裕樹『鈴を産むひばり』(港の人:2010年)

時計が狂わないのは当たり前と言えば当たり前なのだが、そのことを殊更に言い募られると何か「狂う」という言葉そのものに根差している狂気のようなものを感じさせる。さらにパラノイアックに「二度逢ひ三度逢ひ明日も逢ふ」と重ねられると余計にその狂気が増して感じられる。

まったく狂わないことこそ本当は狂うことなのではないか。たかが時計されど時計。大学の助手時代、入試の監督業務のたびに時計を一秒たりともずれないよう合わせなければならず狂わない時計があればなあと思わないでもなかったが、時計は多少狂うぐらいがよいのかも知らない。