坂に置かれたオレンジのピンポン玉として残りの八月をくだってく

                          永井祐 「広い世界と2や8や7」左右社 2020年

 

今日は冬至。朝、外に出ると車のフロントガラスにびっしり霜が降りている。ひえこむ朝は、空気が澄んでいてどこか神聖な気配がする。こうして冬はなんどでも巡って、あたらしい風景を見せてくれる。

 

この歌の季節は夏の終わりころか、残りの八月という表現がとても素敵だ。ピンポン玉のオレンジ色も過ぎてゆく夏を惜しむ思いや、時間の色彩を映し出していて、こまやかな詩情が立ち上がってくる。

夏の終わりはどこかさみしい。それは、季節感にまつわる伝統的な感傷でありながら、ここでは、「坂道に置かれたオレンジのピンポン玉」をさしだすことで、とても若々しい情感を引き出している。そしてオレンジのピンポン玉が坂を転がるという色あざやかな映像がはっとするほど生き生きしていて、晩夏、という叙情の類型をあざやかに更新してしまった。

さらにオレンジ色はどこか夕焼けの色を連想させて、終末感がある。その終末感こそが、わたしそのものなのかもしれない。ただ、ここではそんなに悲壮な感じはなくて、ただ、坂の斜面のかたむきに身を任せて、自然にころがってゆくだけだ。そんな力の抜け方があか抜けていて心地がいい。

 

実は、この歌を初読したときから強く印象にのこっていて忘れられない。あれから世界のどこかの坂道を、このオレンジのピンポン玉がころころと転がり続けているようで、ふっと、こころに隙間ができたとき、その乾いたさみしい音が聞こえてくるようで、切なくなってしまう。どこかにあって、どこでもない坂道を永遠にころがりつづけるオレンジのピンポン玉はさみしい神さまそのものかもしれない。

あるときピンポン玉がしずかに転がり始めて、季節が移りかわる。そうやって、冬になり、また春が来て花に満ちる。それがどんなに素敵な季節であろうと、あっさりと忘れられてピンポン玉は、かるがると転がるばかり。なんてはるかな。

そんなたわいもない想念を誘ってしまうこの歌には、ふかい原風景がある。この一首にふたたび出会えたことが幸せだった。

 

 

これから深夜バスに4時間乗る人と並んで見てる外のひろがり