童貞に向けられている放送を処女の私はひっそりと聴く

川島結佳子『感傷ストーブ』 短歌研究社 2019年

 

一首のつくりは平たいが、いきなり「童貞」とか「処女」ときては、ちょっとたじろいでしまうかもしれない。だが、作者は言葉によって驚かそうとしているのではない。

童貞に向けられている放送はあっても、処女に向けられている放送があるのかどうか。たぶん無いのだろう。だから、「処女の私」は、「童貞に向けられている放送を」「ひっそりと聴く」ほかはない。

「童貞」も「処女」も、セックス未経験者ということでは同じはずだ。だが、そのことをオープンにして笑いに落とすことは、「童貞」には出来ても「処女」にはまだまだハードルが高いようだ。作者には「処女の私」を疎む気持ちがどこかにあるのだろう。そんなことは笑い飛ばして、なんでもないと言ってしまいたいのかもしれない。

それにしても、「童貞の誰か」に出来ることが、何故「処女の私」には出来ないのか。男女の違いは、こんなところでも意識させられることであった。

だからといって、ここで作者は異議を申し立てているわけではない。自らの置かれている位置を、まさに「ひっそりと」歌にしてみた、といった風情である。そこに何を感じとるかは、読み手に委ねられている。

「童貞」や「処女」といった言葉にたじろいでいる場合ではない。その先に見えてくるのは、ただ〈女〉であるというだけで受ける理不尽に対して静かにたたずむ者の姿だ。

そして、歌集の終わりの方には、自らが出した結論のような歌が並ぶ。

 

「ねぇセックス、してくれないかな」と私言うお冷の氷からから揺らし

進化だと君は言うのだ尾てい骨さすり階段おりる私に

うん。何も変わっていない私は悩む処女から悩む非処女へ

 

ギャグにして何でもなかったと言いたいのかもしれないが、笑いながら血を流しているように私には見えてしまった。黙って抱きしめてやりたいくらいだ。

 

 

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