読むべき本すでに読みつと言ひて子は図書室登校やめてしまへり

大口玲子『自由』 書肆侃侃房 2020年

「見るべき程の事は見つ」と言って、壇ノ浦に身を沈めたのは平知盛だが、その言葉を彷彿とさせるような「読むべき本すでに読みつ」である。この言葉を発しているのは、十歳ほどの小学生の息子だ。そう言った後、図書室登校をやめてしまったという。

知盛にあった強い断念と死の覚悟。この小学生の言葉にも、自分から見限っていく強さがある。小学校の図書室はもう卒業だ、そこに自分が求めるものはもうない、と。

 

学校には自由がないと子が言へり卵かけご飯かきまぜながら

生きのびる自由を捨てて餓死刑を選びしコルベ神父の自由

 

「学校には自由がない」と言う子に対して、母親は改めて自由とは何かを考え、アウシュビッツにあって自ら餓死刑を選んだコルベ神父の自由に思い至る。息子の不登校に辛抱強く伴走しながら、母親もまたそこで真剣に考えている。それは、不登校を選択した息子を理解しようというところからくるのかもしれないが、それ以上にこの母親は息子を深く信頼しているように思われる。この子なら大丈夫、自ら道を切り開いていくにちがいない、と。

息子の言葉を「読むべき本すでに読みつ」と平知盛の台詞 (せりふ) 風にしたのも、息子の中に平家の公達のような凜々しい姿を見てとったからではなかったか。深刻に悩み、落ち込むこともある現実からも、知盛風の台詞が救い出してくれているように見える。古典の力は侮れない。

 

夜の更けのつらつらつばきつらつらに燃料プールを見たりし記憶

きみがため秋のクレソン買はむとし霧深き朝の自転車をこぐ

 

こういう歌を読むときにも、古典の素養が深刻さを抱えた現実にほんの少し浮力をつける、そんな効用があるように思われる。

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