斎藤茂吉『暁紅』
前二回とも石川信雄『シネマ』の歌をやりました。せっかくなので話を少し横に広げてみます。
小池光『茂吉を読む』(五柳書院)という本に一箇所だけ、『シネマ』のことが出てきます。
そうして、たしかに茂吉の方がうまい。モダニズムを代表する石川信夫『シネマ』などに比べて。表層と深部の差くらいのものはある。
(「信夫」となっていますが、「信雄」と同じ人です。)
茂吉は明らかに当時流行の新興短歌を意識し、その文体と方法を摂取して作った。こういう歌でもオレの方がうまいと言わんばかりに。
小池さんの見立てだと、当時五十代の斎藤茂吉は前二回見てきた『シネマ』に代表されるような新興のモダンな短歌を意識して、マウンティングをかけるがごとく、モチーフや文体をかぶせながらもっと上手い短歌を発表したりしていた。
その代表的なものとして挙げられているのが今日の歌です。
休息の静けさに似てあかあかと水上警察の右に日は落つ 斎藤茂吉『暁紅』
どうでしょう。わたしは一読、さほどピンと来ませんでした。「あかあかと」とか、いかにも茂吉っぽいし。
小池さんがこの歌のモダンポイントとしてあげるのが「水上警察」というモチーフの新奇さ。これは水上で展開される警察活動の意で、それを専門とする水上警察署というものが今もあるそうです。この歌は当時の京橋区明石町のものだろうとのこと。
で、実景としては「水上警察署」の右なんだけど、それをわざとはしょって、「水上警察の右」と言ったときに、シュールな語感が効果を発揮して、「ふうっと現実から浮遊して、ある抽象的空間が現前するように、感じる。」とのことです。
「右」も即物的な把握で、日が沈むところとして「水上警察の右」はたしかに短歌の定番とは一線を画している。
そうか、言われればモダンな気も、というところですが、次の歌などは決定的です。
月島を向ひに見つつ通り来し新年の静かなる立体性の街
「立体性の街」はかなりモダニズム感あります。
同書によれば、実景的には向いはむしろ「佃島」になるはずなので「月島」という地名も意識しているだろうとのこと。「月-島」はそう考えるとねばねばしない無臭の雰囲気はある気がします。「佃島」では気分が出ない。
斎藤茂吉は「水上警察」とか「月島」とかの語の微妙な感触を上手く使いながら、モダニズムのエッセンスを自分の歌に取り入れていた。というのが大雑把に言った小池説。
では、マウンティングは成功しているか。「たしかに茂吉の方がうまい」とまではわたしは思いませんが、こうやって並べて通わせてみると、石川信雄と斎藤茂吉が同時代人であり、昭和初期の美的・知的流行の雰囲気があるということは、ちょっとつかめるような気がします。
茂吉の昭和十年の新年詠の一連にはほか、こんな歌があります。
月島の倉庫にあかく入日さし一月一日のこころ落ちゐぬ
美しき男をみなの葛藤を見るともなしに見てしまひけり