久我 田鶴子


ねえちやんは帰れ分がンね奴は帰れとぞ言はれつつわが併走す

高木佳子 『玄牝』 砂子屋書房 2020年

 

「ねえちゃんは帰れ」「分がンね奴は帰れ」と言われつつも、そう言う人たちと私は併走するのだと、顔を上げて前を向いている作者がいる。だが、この一首だけでは、少し状況が摑みにくいかもしれない。

前後の歌を何首か挙げてみる。

 

復興の約定としてガントリー・クレーン荷役をしをり小名浜港に

使ひすて以前以後なる男らの幾たりがこの港湾にゐる

幟なく旗なくてゆく 行進のさきにおのれの拳掲げて

復興に繁る樹下へと棄てられし無数の夫・父・兄そして弟

 

小名浜港は、福島県いわき市南東部に位置する。江戸時代は漁港として栄え、その後は石炭の積み出し港として発展した。東日本大震災では、津波により被災。その小名浜港の被災後の港湾労働者たちを詠っている。(いわき市は作者の地元である。)

3首目の歌には、「被災を利用した理不尽な解雇攻撃を許すな」という詞書がある。被災地において、復興の名のもとに、いいように使い捨てにされてゆく男たち。彼らが今、不当解雇に抗議の声を挙げて行進しているのだ。

「ねえちゃんは帰れ」「分がンね奴は帰れ」は、その男たちから作者に向けられた言葉である。「ねえちゃん」「分がンね奴」は分断の言葉だが、作者はその言葉に負けてはいない。いや、私は帰らない、あなた達と併走する、と心で言い返す。

東日本大震災、更に、その後の原発事故は、被災地の中にもさまざまな分断を生んだ。歌集の中に登場する、訴訟の中にあって憤りが人を生かしめている姿、補償金に目を輝かせる人、外から煽動する人や怒りさえ強いてくる人等々。被災地におけるさまざまな人間を描き出しながら、作者は冷静に前を向いてものを考え、分断を越えてその先に希望を見いだそうとしている。この一首でも、男たちの言う「ねえちゃん」や「分がンね奴」をやんわりと受けとめつつ、そこにある問題を共有しようとし、共に立ち向かおうとしているのだ。

それにしても、「復興」の名のもとに動く巨額の金。被災地の「復興」が、人間を食い物にし、使い捨ててゆく、この現実。「復興」による甘い汁を吸っているのもまた、どこかの誰か、つまりは人間がしていることであるという、この現実。