押し入れの天袋に入り朝までを水から逃れしと人はまた笑む

小林真代 「3299日目 東日本大震災から九年を詠む」 塔短歌会・東北 2020年

 

作者は、福島県いわき市在住。

2019年秋の台風は、いわき市を流れる川を氾濫させ、死者まで出す被害をもたらした。この一首は、そのとき天袋に逃れて一夜を凌いだ人のことを詠っている。

人はこういうときにも笑うものなのだ。

 

放射性物質でも地震でもなく予報されつつ来る台風は

ふにやふにやの畳が泳いでゐたつけと笑ふ床上浸水の人

 

台風ならば、予報されて来る。放射性物質や地震は、予報されることなく、突然やって来た。台風で大きな被害に遭いながらも、どうしても東日本大震災と比べてしまう暮らしがここにはある。「未曾有」と言われた災害に遭っても、それが最後ということはなく、何度でも災害は襲ってくる。

床上浸水になっても、ふにゃふにゃの畳が泳いでいたと笑って言う人。押し入れの天袋に入って水から逃れたと笑ってみせた人と同じ人なのだろう。だから、一首には「また笑む」とある。

死ぬかも知れないというところから命拾いした人の、ほっとした気持ちが、いつもより饒舌にもさせているにちがいない。何度も笑っては、生き延びたことを確認しているのでもあろう。そして、作者には、その人の思いが痛いほどに分かっているのだろう。

苦しいときも、辛いときも笑えばいい。どんなに弱々しい笑いであっても、笑うことができればなんとか生きられる。

作者は、歌に添えたエッセイの終わりに次のように書いている。「これ以上ひどいことがないようにと、あれからずっと願ってきたが、ひどいことは何度でも起こるのだ。それでもそこから生き延びた経験が、次の難しい状況をまた乗り越えてゆく力になるのなら。」と。新型コロナウイルスの猛威にさらされている状況をも視野に入れての言葉であった。

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