永井 祐


蒲公英たんぽぽは茎ながくしてわたを立つ朝あめけぶるこの川べりに

玉城徹『我ら地上に』

今回で一月も終わりですが、ふと気がつくと今日のも含めて亡くなった人の歌しかやってないですね。来月はちょっと趣向を変えようかと思います。上手くいくかわからないけれど。

今日の歌は前にもやった『我ら地上に』に収録。もともとの本は1978年刊だから70年代に作られた歌になりますが、2017年刊の『玉城徹全歌集』(いりの舎)から引用しています。

 

神田の古本街を歩くと茂吉歌集の現物はいくらも安価で手に入る。詩集歌集は全集やアンソロジーで読んでも十分には味わえるものでなく、やはり現物を手にすることが大事なようだ。

小池光『茂吉を読む』

 

小池光さんはこのように書いていて、こういうの豊かでいいなと思います。こういう偶然性に身をゆだねたい。
わたしは古い本を買う場合、夜中にパソコンでAmazonや日本の古本屋をすばやく検索し、最安値を見極めた瞬間に秒でポチるみたいな。そういう感じです。
全歌集はとても高いのですが、持っているとわりと発見があるのがいいと思います。代表作以外のものがどんどん目に入るので。そしてでかいので迷子にならない。
枕が長くなりました。
今日の歌。
上句のたんぽぽの描き方が美しくて、見てすぐ好きになりました。
たんぽぽ、描かれ方としてふわふわモードが強い気がして、こんなに凜としたたんぽぽって見たことないなという思いがしました。
それで、とても簡潔なリアリズムによっていて、茎はたしかにひょろっとしていて絮はどれもピッと立っている。
そしてリアリズムが見事に美を生んでいる。ふわふわモードもいいけど、確かにこっちのが美しい、とわたしの場合は説得されます。

あと、ちょっと奥に入って読んでいくと、何かすごい奴感が出ているというか、たんぽぽをこのように見るとは「ただものではない・・」みたいなオーラも漂っている気がします。
世界の見方がちょっと変わる感じというか、こんな高感度・高解像度で世界を受け取っていたらすごいだろうな、みたいな風に思います。
下句、朝の軽い雨がけぶっている。たんぽぽはちょっと揺れたりしている。川べりで広々として。
すべて想像というか歌から思うことですが、こういう短歌を朝に作ったりしたら、少なくとも午前中の間は気分よさそうな気がします。
もう一首だけ、『我ら地上に』から。

 

夜ふけゆく空の下びに立ちて思ふ机の上にひろげおきしノート

 

「下び」とは「下辺」と書いて「下のあたり」という意味。辞書にもあまり載っていないけれど短歌でよく使われる、「歌言葉」みたいなものだそうです。
さて、この歌もなんとなく心に残り続けている歌。
なんでノートのことを思ったんでしょうね。これは上句と比喩的・因果的に結びついて結晶しないような下句で、たとえば上句に「つけ合わせる」みたいな発想のものではないんだと思います。風のようにやってきた想念。そんな感触こそが得がたく好きなところなのですが、でも、「ひろげおきし」が大事なんだろうなとも思います。見開きに広げられたその形のために、きっとこのときにやって来たんだろうと思います。だからなんとなくわかる、わたしの意識の中も含めた世界のさざ波みたいな感じ。エビデンスのない読みなんですけど、わたしはそんな感じがします。