久我 田鶴子


図書館はとてもしずかで子供なりの小声がおしっこと言っている

工藤吉生 『世界で一番すばらしい俺』 短歌研究社 2020年

 

図書館はだいたい静かなところだが、「とてもしずかで」と言うからには、しーんと静まりかえっているのだろう。

そこに子供の声。「おしっこ」と言っている。たぶん一緒に来ている母親か誰かにトイレに行きたいと訴えているのだ。「おしっこ」という言い方から伝わる幼さ。けれども、発せられているのは「子供なりの小声」である。「子供なりの」というところに立ち止まる。幼いながらも、この子は周囲への気遣いをしているのだな、と作者は感じたのだろう。

すでに場をわきまえるということを知っている子供。そういう子が発した「おしっこ」という言葉の幼さ。このギャップがいっそうその子を、その場の情景を、健気で愛おしく感じさせる。

場所が静かな図書館であったにしても、作者は良い耳をもっている人だ。

 

東京に行って頑張りたいなどと聞こえるベンチにまどろんでゆく

 

この歌でも、作者は聞くともなく聞いているのである。

「東京に行って頑張りたい」などと話しているのは誰だろう。その話を聞いている相手もそこにいるにちがいない。だが、作者はその人たちの姿を見てはいない。耳に入ってくる話を聞いているだけだ。そして、ベンチにまどろんでゆくのである。なにか夢見心地に聞いている話。正体不明の誰かの話。

姿を見ているわけではないのだから、人間でないということも大いにあり得る。風か何かの話としてもいい。あるいは、田舎のネズミが都会に出る算段をしていたとか。

作者の穏やかな気持ちが伝わってくる。気持ちがわさわさ騒がしいときには、静かに誰かの声や言葉が耳に入ってくることはないものだ。一首の創り出す静かな広がりに、気づけば、いつの間にか読者も引き込まれている。