阿波野巧也 『ビギナーズラック』 左右社 2020年
座って噴水を見ながら思い浮かべていたのは、初恋の人のことだったのだろう。笑顔の素敵な人だったのかもしれない。歯並びが印象的な。
それにしても、「初恋の歯ならび」という表現には、ちょっとびっくりする。初恋自体の比喩のようでもあり、「はつこいの」「はならびも」と、「は」音を明るく刻んでいるあたりからは、相手の人の整った歯並びというだけでなく、前歯が大きかったとか、八重歯が可愛かったとかなのかなと、勝手な想像が広がる。
そこにつづく「いまはまだおぼえてる」は、意味深長だ。「立ちながら」のこの時間の「いま」はまだ、ということだろうから、この後のことは分からない。歩きだした途端に忘れてしまうのかもしれない。いや、むしろそうであることを願っているのかもしれない。いつまでも初恋を引きずっているわけにはいかない。思い切って、歩きださねば、と。
噴水を見て、立ち上がる。立つという動作をしている〈今〉。今ならば、初恋の人の歯並びもまだ覚えている。
でも、もうここから歩きださなければ。そういう時が来たのだ。
ところで、この歌集の中には、「噴水」が織り込まれるように繰り返し出てくる。この一首の前に、4首。
噴水がきらきら喘ぐ 了解ですみたいなメールをたくさん送る
噴水が水をひかりにひらきゆく 裸体をおもいえがいてしまう
噴水をかたむけながら吹いている風、なんどでもぼくはまちがう
公園でタバコの高校生たちと噴水の明るさを見ていた
歌集が描きだす物語の重要な場所としての「噴水」。噴水の傍らで、青年は一人になり、相手への思いを噴き上げてきたのかもしれない。だが、もう恋は終わりなのか。恋の行方は明らかではないが、どうやらこれまでとは違ったものになりそうだ。青年の立ち上がった姿に頼もしさがうかがえるのは、「いまはまだ」が逆説的に働いているからだろう。