雪に傘ひらけばすなはち壊れたり風のつよさはそのあとに知る

花山多佳子 『鳥影』 角川書店 2019年

 

雪に傘をひらいたら即座に壊れた、とは!

壊してしまってから、傘が壊れるくらいの強風であったことを知ったという。ものごとの順番が違っている。ちょっと意表を突く。作者の人柄を彷彿とさせるようでもあり、つい笑ってしまう。

「雪に傘」と言えば、小池光の歌「雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ」である。一首は、たぶんこの歌を踏まえている。ところが、同じ初句から始まっても、それに続くのは「ひらけばすなはち壊れたり」とくる。小池作品の抒情的に詠いあげていく感じを知っている読者からすると、その落差にひっくり返る。しかも、「あはれ」に対抗してか、「すなはち」などという漢文調の重々しい言い回しの後の「壊れたり」である。完全に遊んでいる。さらに、その後に続けて、そんなに風が強かったんだね、ちっとも知らなかった、である。この、すっとぼけた感じがなんとも言えない。

本歌取りとも違うが、元になる歌があって作る場合、その元になる歌の世界からできるだけ遠いところへ歌の世界を飛ばした方が面白い。この一首は、それをやって見せている。小池光の抒情的名歌から、ユーモアのセンスたっぷりの、ちょっとドジな作者が見えるような歌へ。

小池と花山、いわゆる「団塊の世代」である。同世代の二人であれば、この一首には軽い挨拶のような意味合いもあるのかもしれない。

 

いつせいに生れしわれらに消えてゆく後先のありいくさにあらねば

 

戦後のベビーブームの中で生まれた彼ら。戦後生まれであっても、そこには戦争が色濃く影を落としている。一斉に生まれたのには、訳があったのである。その世代も今や古稀を過ぎた。ひとたび戦争があれば、消えてしまうのも一斉かもしれないが、戦争に巻き込まれることなく、とにかく今まで生きてきた。生まれたときは一斉だった「われら」だが、消えてゆくのは後先がある。

この一首からは、「団塊の世代」の、これまで生きてきた感慨が世代意識として伺える。

 

 

 

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