永井 祐


なごみたる夜ふけ鳴くかはづ二種類にて澄みやさしき声は近しも 

土屋文明『自流泉』

 

前回は死んだたぬきの歌でした。あのたぬきはあれからどうしたのか。やっぱりたぬき汁にして食べたのか。
『山下水』と『自流泉』から見えてくる川戸での暮らしは、山でとってきたものを食べ、畑でとれたものを食べという風です。たぶんとってきた狸も食べたのかと思う。

 

食ひがたくやせしはうれん草になりし実を隣の山羊が首出して食ひぬ

 

こういう感じの歌がたくさんあります。

余談ですが、土屋文明は東京にいたときには都会っぽい歌を作っています。都会派的に言われることもあったはず。その傾向は歌集で言うと『往還集』と『山谷集』に顕著だと思います。

 

このくらいにして今日の歌にいきましょう。
夜更けに聞こえていた蛙の声が二種類あることに気づいたという歌ですね。
この「二種類」がとても面白く、また珍しいと思います。蛙の声の種類を聞き分ける歌って、わたしはほかに知らない。
はじめから読んでいくと、
「なごみたる夜ふけ」はなんとなく気分がなごやかになった夜、という感じで、普段はもっと険しいということが前提にあるのだと思います。
なんとなくなごやかなバイブスがきて、蛙の声もきっとうるさくなく聞いている。そうするとそれが二種類あることに気づく。遠くのほうと近くのほうで、声が違っている。
そして近くのほうの声は澄んでやさしい声だなと思って、二種類同時に聞きつつ、やさしい声のほうに特に心が和していくっていう感じかと思います。
「二種類にて」はすごく散文的な言い方ですけど、この歌の持っている流れの大事なところで、(今日はなごむ)(蛙ないてる)(二種類いる)(近いほうの声)みたいな、なかば同時的に起こる心の動きの中にこういう分析的な言葉が入るのが面白いと思います。ちょっと分析して考えて、もう一度なごむ。

この歌は韻律もけっこう特徴的です。

下句は、四句が「澄みやさしき」結句が「声はちかしも」だと思います。だから「澄み」が「すみ」だとすると(ほかにある?)、四句が六音で字足らずになっている。
逆に三句の「二種類にて」は六音で字余りです。
この三句と四句の1音ずつの出し入れが、たぶん歌の流れを作っていて、
さっきの読み、「ちょっと考えてもう一度なごむ」みたいな動きを作っているのかと思います。
こういうところも興味深い。