久我 田鶴子


茉莉花の香にひたさるる宵なりき卓に白磁の碗ふたつ置き

※「茉莉花」に「まつりか」とルビ

松田愼也 『詮無きときに』 角川書店 2020年

 

茉莉花の香に浸される宵であった、テーブルに白磁の碗をふたつ置いて。

いったいそこで何があったのだろうと思わせる内容の歌である。

茉莉花は、モクセイ科の低木。ジャスミンの一種で、夏の宵に甘い香りを放って白い花を開く。部屋の中に満ちた茉莉花の香り。その花の香りに浸されている人がそれに影響されないはずはない。

テーブルには白磁の碗が二つ。そこにいたのは二人だった。茉莉花の香が醸し出す雰囲気からすると、思いを寄せる人のようであるが、描き出されているのは二つの碗のみ。謎のように、その存在は隠されている。

白磁の碗の、静謐で清らかなイメージ。置かれた二つの碗からは、存在感とともに距離感もうかがえる。

その場の甘やかにして静謐な感じは、次第にもの狂おしいような気持ちにさせる。

ふたたび「茉莉花の香にひたさるる宵なりき」という上の句に戻るとき、きっぱりとした過去の助動詞「き」の響きが胸に来る。過去とはなっても、確かにあの宵の出来事はあったのだと、こころに負ったものを確認しているのか。妙にせつなくなる。

 

岸壁にもだしばしあり没りつ陽を見果て「帰ろ」と言い出ずるまで

 

「没りつ陽」は、「入りつ日」。「つ」は、「昼つ方」「天つ風」と同様の使われ方で、格助詞「の」の働き。「入りの日」、つまり「入日」のことである。

岸壁で、海に日が沈みきるまでを見た後、しばらく互いに黙っていた。「帰ろ」とどちらかが言い出すまで。

この歌は二人であることさえ言っていないのに、情景が浮かんできて、妙にせつない。

沈黙の後の、「帰ろ」。短いけれども、そこに籠められた思いは単純ではない。発したときの声の感じまでリアルに想像されてくる。