山鳥のわたしを鹿のわたる話正確に詳細に知りたく思ふ

土屋文明『自流泉』

 

さいきん動物が多いですが、今日の歌は鹿です。
前回、前々回と同じく土屋文明『自流泉』から。
「山鳥の渡」とは宮城県牡鹿半島と金華山との間の水道。
金華山は全域が山になっている小さい島、牡鹿半島の先端から昔は船で渡っていたそうです。
その7~800メートルの海峡、または船が出ていた場所を「山鳥の渡」というそうです。
例によってGoogle検索しただけですが、調べるといろいろわかってきます。

金華山にはWikipediaによれば人口が5人、小金山神社というところの神職の人だけが住んでいるそうです。そして鹿が多く生息していて、神の使いとして保護されているとのこと。ちなみに神社は金運アップに定評があるそうです。

今日の歌は、おそらく旅行中の歌なのか、今までの川戸の歌ではないですね。
「群山の友に」という小題がついているので、以前友人に聞いた話なのか、旅先で聞いた話なのか、その「山鳥の渡」を鹿が渡るという話がある。
山鳥の渡しは海なので、鹿は泳いで渡るのでしょう。鹿は泳げるのか? また検索しましたが、泳ぐことあるみたいです。
が、金華山から牡鹿半島までは800メートルくらいあるそうだし、鹿たちが連れ立って渡ってくるというのは、あるのかもしれないけれどなさそうな話でもあります。
たぶん、こんな話の感触が今日の歌の「正確に詳細に知りたく思ふ」を導いているのでしょう。
調べるのが長くなりましたが、今日の歌、この「正確に詳細に」が目を引きます。
この四句が10音もあり、前回の「二種類」のように、ちょっと浮いた散文的な感触のある言葉遣いです。
でも歌の心もここにある。「正確に」と「詳細に」はけっこう似た意味でもあるし、それをかぶせながらたたみかけるところで、「知りたく思ふ」が芯を持って感じられるように思います。
空虚な「思ふ」ではない。
「話」という言い方も面白い気がして、「伝説」というほどではないというか、そういう話があるっていうくらいなんでしょうね。文献にあたってわかるようなことでもない。
ちょっとした思いつきのような、かなりふわっとした感じの歌ですが、わたしは不思議に心に残る歌でした。
「友に」という題がついているからか、なにか切ないような感じもして、「正確に詳細に」知れることはもうないだろうという雰囲気もあるのかもしれない。

ついでに、最近読んだ鹿の俳句。

 

目の覚めて鹿の配置の切りかはる  鴇田智哉『エレメンツ』

 

こちらは、「配置」が「切りかはる」のがとても鹿っぽい気がします。
鹿はなんか移動したりまた止まったりを繰り返している。同じようで少しずつちがう鹿たちが配置だけを切り替えていく。
スーパーフラットというか(雰囲気で言ってますが)、かなり現代的な視線な気がします。わたしもどこか、こんな風に鹿を見ている。

 

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