塚本邦雄『ラテン吟遊』
この歌が入っているのは1989年刊の『ラテン吟遊』という歌集です。
この歌集はいわゆる間奏歌集とか言われるもので、
第一歌集、第二歌集とかの序数歌集と成り立ちを異にした、ワンテーマで編まれた歌集の一つになります。
序数歌集と間奏歌集の違いとはなにか、厳密なことはわかりませんし、最近はそういう風にくっきり分けて歌集を作るということもあまりないのかなと思います。
けれど、『ラテン吟遊』は一つの企画ものとして出来ていて、それはずばりヨーロッパ旅行です。フランスからはじまって、スペイン、オーストリアとか、ヨーロッパ各地を巡る歌によって構成されている。12年ほどの期間のおりおりの旅行詠をまとめたものだそうです。
忠実な属目では必ずしもないものの、いちおう旅行に触発されて作ったものではある。
そしてこの歌集は読んでいて楽しいです。やはり序数歌集よりぐっと遊びのトーンが強く、ヨーロッパめっちゃ好きという感じがすごくします。
緑蔭のはつかなる金イタリアへイタリアへわが心も山踰ゆ
(輸出用蘭花の束を空港へ空港へ乞食夫妻がはこび)
セルフパロディがあったりして。
それまでたくわえた文体の引き出しをばんばん使って楽しく作るという雰囲気です。塚本さんの文体の「遊び」の側面はよく言われるところでもありますが、それがはっきりあらわれている。
そろそろ今日の歌。その中で好きになった歌でした。
イタリアのフィレンツェ、メディチ家の統治のもと15世紀のルネサンスの文化的中心地となった芸術の都。その華やかで光に満ちたイメージを塚本文体でそのまま掬いとる、という感じかな。
「一尾」は「いちび」と読んで、魚を数える単位。
橋の上にトビウオが。街中の川にはさすがにいないと思うので、飛び上がってきたわけではなく、空から落ちてきたようなイメージなのかと思います。
ある鑑賞によれば、トビウオの羽には天使のイメージがあるだろうとのこと。フィレンツェゆかりの絵画には天使を描いたものが多くあります。
下句、「ふるへる」と「フィレンツェ」のとてもくっきりした頭韻、「うつ/くしきフィレンツェ」のいかにもらしい句跨がりからの体言止め。トビウオのふるえと身のふるえ、「フィレンツェ」という音のふるえが合わさる。
歌の形と音韻に独特の完全性があって、イメージの中のフィレンツェが浮かび上がる、水と光が美しい一首になっているかと思います。
ほかにもいろいろあるけど、一首だけ。斜塔の有名なピサでむしろ垂直になる歌。ちょっと笑った。「花季」は「はなどき」と読むみたいです。
花季もとほくすぎつつうすぐもるピサにあり身は垂直に立つ