久我 田鶴子


これでなにか美味しいものでも食べなさいと一万円をわが掌にかくす

※「掌」に「て」とルビ

加藤 英彦 『プレシピス』 ながらみ書房 2020年

 

今の母親は、こんなことをするのだろうか。

作者は、昭和29年生まれ。昭和の母親は、こういうことをした。

親にとって子どもは幾つになっても子どもであって、心配は尽きないものらしい。どうしているかしら、ちゃんと食べているかしらと、離れていれば余計に心配する。

一万円というのが、子どもがある程度の年齢に達していることを思わせる。千円札というわけにはいかない年齢。母親にとって一万円というのは、どれほどのものか。自分の自由に使える範囲で、小遣いをやるにしてはちょっと奮発したというくらいの額だろうか。

「わがにかくす」という仕草が泣かせる。剝き出しの一万円札を息子の掌にそっと握らせるのだが、人目を憚るような気配がある。誰にも見られないように、「ほら、早くしまって」とでもいうような仕草。〈昭和の母親〉と思うのは、こういうところだ。なにか、かなしい。「かなしい」は、「悲しい」でも「哀しい」でも「愛しい」でもあるような……。子どもに対する親の愛情は、こんな形にもなる。

 

指さきがすこしふるえて鍵盤より母のむかしの曲ながれだす

 

久しぶりに鍵盤に触れた母だろうか。昔の曲を弾き始めた。

「指さきがすこしふるえて」には、母に流れた歳月が感じられる。「母のむかしの曲」が、母が昔よく弾いていた曲というのなら、作者にとっても耳に馴染んだ懐かしい曲だったことだろう。ピアノを弾く若き母の姿とともに、傍らで耳を傾けていた幼い日の自分の姿も蘇ってきたにちがいない。母とともにあった幸福な時間。それは、もう昔になってしまった。

母に流れた歳月は、作者自身にも流れた歳月であった。