樹によれば樹、地に臥せば地の命なり 弾はずれ来て我を生みし母

※「弾」に「たま」のルビ。

仲西 正子 『まほら浦添』 ながらみ書房 2020年

 

樹に寄れば樹の命、地に臥せば地の命。じかに触れることによって、命を感じとっている作者だ。そして、地上に息づく命のなかに、自らの命もある。その命は、激しい地上戦のなかを生き残った母が生んでくれたものである。

作者は、昭和23年、沖縄生まれ。満州で戦傷を負った父と沖縄戦をくぐって生き残った母との間に生まれた。

昭和20年4月1日、沖縄本島に米軍が上陸。一般人を巻き込んだ激しい地上戦は三ヶ月に及んだ。その時、作者の父は大阪の軍需工場に動員中。母は一歳半の娘と乳呑み児とを抱えて、弾の飛び交う中を必死に逃げまわった。

 

児はせなに頭に手にも持ち持ちて逃げる婦女子の裸足が痛い

 

この歌は、一フィート運動で米軍から買い取った、沖縄戦を記録したフィルムを作者が見たときの歌だが、子どもを背に、持てるかぎりの物を持って、裸足で逃げまどう姿に母が重なったという。

その戦の中、母は乳呑み児を栄養失調で失っている。作者にとっては姉に当たるが、戸籍には残らず、遺骨もなかった。戦後の作者の誕生は、その亡くなった子の誕生日と時刻まで一緒だったそうで、「貴女には二人分の徳が付いている」と、物心のつく頃から聞かされたという。

 

今ここに漂う風を骨壺におさめて弔う三度の風を

零歳の姉の骨なりいかほどの重さなりしや両手窪める

 

「三度の風」とは、霊のこと。遺骨がないので、風を三度、骨壺に招き入れて入魂したのである。戦後六十三年が経っていた。実家の墓が建ったときに、零歳で亡くなった姉をこういうかたちで弔うことができたのであった。

零歳の姉の骨はどれくらいの重さだったのかと両手を窪めてみる。小さな命を捧げるようなその姿は、そのまま祈りのかたちである。

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