永井 祐


よひあさく土よりのぼる土のぎつつ心いきどほり

斎藤茂吉『あらたま』

 

前回終わりに話が出たし、今日は斎藤茂吉の歌。
第二歌集『あらたま』の前半から。

「よひ」は宵だと思います。「宵浅く」は日が暮れてまだ間もない頃。
土から土の匂いがのぼってくる。
「土の香」だし、嫌な匂いじゃないなんだろうなと思います。「嗅ぎつつ」も能動的なニュアンスがある感じがします。
匂いが流れてきて、それを感じたわけだけれど、ある段階で自分から嗅ぎにいっている。

日は落ちていて、土は見えにくくなっていて、一日の仕事みたいなことはたぶん一息ついていて、あらためて「土の香」に気づくというところがあるかもしれない。

そして心はいきどおっている。
この歌が目についたのは、ここの、心がいきどおっていることと、ただよってくる土の匂いをかいでいることが、順接していないようなところです。
二つは「つつ」でつながっている。そしてそのとおり、平行している感じがします。
土の香をかぐ一方で、強くいきどおっている。
そういう、マルチタスクみたいな状態。
こういうことあるなと思います。
土の匂いをかぐことで、もっとじっと自分の心を見つめるという作用、
土の香りがかぐわしいほど、ますますいきどおりがわだかまるという反比例、
それらもあるかもしれない。でもわたしは、二つが平行する複雑さが面白いような気がする。
「つつ」だから。

ちなみにこれは「折りに触れ」という一連の中の一首で、ほかの歌もずっといきどおっている。

 

いきどほろしきこの身もつひにもだしつつ入日いりひのなかに無花果いちじゆく

 

わがこころせつぱつまりて手のひらの黒き河豚ふぐの子つひに殺したり

 

一首目の「無花果」の歌がたぶん一番有名。こわいですね。夕日の中で黙って無花果を食べるという下句から深いキレ方が伝わります。
二首目は今日の「土の香」の歌とちがって完全に順接。いきどおりすぎて河豚の子を殺してしまう。

いきどおる状態にもいろいろある。