ちちははのゐぬふるさとに帰り来て先づはひと泣きさせてもらひぬ

狩野一男『栗原』(2008)

 

  短歌の読みには、作者の背景をよく知っている場合とその一首だけを作者とは切り離して理解する場合がある。

 その両者はつねに混在しており、その割合は歌によっても読者によっても違ってくる。

 しかし、前者の方が(いいわるいは別として)読みが深まるのは確かである。

 

 この一首であれば、両親が亡くなってしまった後の故郷の茫漠とした感じは誰にでもわかるだろう。

 そして、「先づはひと泣きさせてもらひぬ」というレトリックのおもしろさも味わえるはずだ。

 ほんとうはわんわんと心から泣いているのだ。しかし、大のオトナの姿としてみっともない、と作者は思う。まるでもともと順序が決まっているものごとのように、自分の感情はちゃんと制御してますよ、という顔で泣くというのだ。

 それだけで十分におもしろい。

 

 しかし、筆者は、この故郷は宮城県栗原郡(現栗原市)花山村であり、のちに2008年6月の岩手・宮城内陸地震で甚大な被害を受けるところだと知っている。

 そしてなにより、作者の狩野氏の歌を知っている。

 つねに懸命に生きる人の姿と意志を考えつつ、クモ膜下出血から生還した今では老いる直前の感慨をそっけなくしかし丁寧に読む人。

 定型の息遣いを心得ていて、難しいことも小さなこともユーモラスな技巧に包んで提示する人。

 

 そういう背景を知っていればなおさら、この歌の下句の読みどころに泣かされるのではないか。

 歌は人とは切り離せないと思わせる典型的な歌だ。

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