合掌のかたちに瓜の双葉出づ肥料袋の行灯のなか

森田アヤ子 『かたへら』 現代短歌社 2020年

 

瓜の種から双葉が出る。出てきたばかりの葉は、掌を合わせたような形をしている。それがやがて左右に開いて、間から本葉が出てくる。

双葉が合掌のかたちというのは繰り返し歌の素材にされてきているが、それが「肥料袋の行灯のなか」というのにはまだお目に掛かったことがない。

種を蒔いたときに、霜除けや風除けのためにビニールをかけたりする。その時に、わざわざ新しいものを使わず、すでに使い終わった肥料の袋で代用しているのである。袋を被せると行灯のようなかたちになる。田舎育ちの私にはすぐに目に浮かぶ光景だが、今の世の中、すぐに分かる人は少ないかもしれない。

どんなものもすぐに捨てたりはしない。使える物は何でも使って無駄にしないという暮らし方。ちょっと前までそんなんでしたよねと言えば、作者はきっと「今でも私はそういう暮らし方をしているんですよ」と言うことだろう。

作者は、山口県岩国市在住。

 

畝立ての土の中より出できたり青のぼかしのおはじきひとつ

 

何を植え付けようとしていたのか。畑に畝を立てていると、土の中から現れ出た「青のぼかしのおはじきひとつ」。

なぜこんなところに? と思うようなものが、畑の中から出てくることがある。子どもの小さな遊び道具などもそのひとつ。ここでは「青のぼかしのおはじき」。ガラスでできたものだろう。思わぬ畑からのプレゼントだ。

こういうものもとんと見なくなった。おはじきやビー玉やメンコなんて、昭和の時代のものなんだろうな。

 

伐れど伐れどぢき伸び出づる楮なり山代紙となりし木の裔

立秋の周防岸根の畝に蒔くチリ産黒田五寸人参

 

作者の地元は、江戸時代には山代紙と呼ばれる和紙の産地であったらしい。だが、いまや山代紙の需要はなく、楮の木も邪魔者扱いである。「伐れど伐れどぢき伸び出づる」、そういう生命力をもつ楮だから和紙の材料としても重宝されたのだろうに。

「周防岸根」は、まさに作者が住んでいるところ。「周防」という昔の国名と「岸根」と、地名が根を張って生きている。だが、そこに蒔くのは「チリ産黒田五寸人参」である。「黒田五寸人参」は、日本で交配されたものらしいが、その種を今はチリから輸入しているのだろう。

山代紙といい、黒田五寸人参といい、変化する時代のなかに置かれ、それと無縁というわけにはいかない。

 

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