小川佳世子 『ジューンベリー』 砂子屋書房 2020年
「あったかもしれない人生」と考えるのは、平穏に暮らした人が後になってすることだろう。そして、大概は波瀾万丈の人生を言う。それが好転していくものなら波瀾万丈も憧れの対象となるが、「あったかもしれない人生なんて今やろ」と言うのでは、そうではないのだ。「なんて今やろ」という吐きつけるような関西弁が胸にこたえる。
肺胞腫瘍から始まった病は、つぎつぎと作者を襲い、病む前には思いもしなかった〈今〉を生きている。それは、病む前の身なら「あったかもしれない人生」と考えるような人生だ。
「あったかもしれない人生なんて今やろ」という表現に籠められているもの。負けるものかの思い。ここはやはり関西弁でなければこうはいかない。
鳥たちが何羽か窓を横切って そのことやったらしってるさかい
大泣きをしそうになるやん 踊り場で元気そうやと言われてしまい
「そのことやったらしってるさかい」とは、窓を横切った鳥たちが言ったのだろうか。なにかこちらのことを察してくれているらしい。もうそれ以上、言わなくても解ってるよ、と言っているらしい。
階段の途中の踊り場。そんなところで「元気そうや」なんて声をかけられては、「大泣きしそうになるやん」。ふっと人の言葉が、こころの柔らかいところに触れてくる。素直な感情に身をまかせたくなる、そんなときもあることだろう。
2首とも言いさしにしているところが、自らの内面に降りていっている感じだ。
「フォビアやな。薬飲んでも治らんで。」目を見て言ってくれる確かさ
これからも早期発見続きやし長生きするな、ひととき間があく
辛い内容であっても、自分の言葉で目を見て言ってくれるのであれば、しっかりと受け止めようとすることができるかもしれない。言葉のあとに一瞬の間があっても、静かに受け止めることができるのかもしれない。
事実の記録のようなこれらの歌からは、病に向き合う、しんとした強さが立ち上がってくるようだ。