永井 祐


空晴れて近づく夜は見えざるに甲虫の飛ぶいたくさみしく

森岡貞香『黛樹』

 

 

この歌は花山多佳子さんの『森岡貞香の秀歌』という本で知りました。
花山さんはこの歌が好きみたいで、この歌のお話をしているのを生で聞いたこともあります。
じっさいに歌集で読んでみると、連作中でそんなに目立つ歌じゃないんですよね。
「楚」という連作で、出生地である出雲の國、いまの島根県に旅行をして、土地の伝説や自分の血筋に思いをはせるというような、すごくざっくりいうとそんな連作の前作にふっと入っている歌。「甲虫」は連作を貫くようなモチーフというわけではない。
花山さんのお話も、その場ではふーんと思って聞いていたのですが、時間がたつうちに確かに深い歌だなと思うようになってきました。

「空晴れて近づく夜は見えざるに」
これがまず不思議な表現になっている。空はよく晴れていて、近づいてくる夜は見えない。夜の気配すら見えないほど思いっきり晴れているともとれるし、
見えないけれど夜は近づいていることを言っているようにも見える。
この二つのどちらでもないような形になっている。
それで、そこを甲虫が飛ぶ。
飛ぶ甲虫がさみしいというのはわかる気がします。羽をばたばたさせてめっちゃ飛んでいる。けっこうまっすぐビーンと飛ぶ。安定して自由自在に飛んでいるような感じはしない。あの角も飛んでいると余計な感じがするし。
逆にどこかにつかまっているとき、歩いているときの甲虫はどっしりしている。そのギャップはあるのかもしれない。
真っ青な晴れの中で飛ぶ甲虫がさみしい。夜はその気配も見えないのに。
「見えざるに」の「に」は微妙なところです。
意味的には逆説の確定条件が先頭に来ますがもっと幅がある。
花山さんの場合だと、「(夜は)見えないが、甲虫が飛ぶことで『見える』という感じだろうか」としています。
ここは大事なところな上に、人によってけっこう印象が違うかもしれない。

 

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも 斎藤茂吉

 

「いたくさみしく」から、この歌を思い出します。でも、感情の種類は違いますね。
今日の歌は「寂(さび)」感はない。漢字を当てると「淋(さみ)しく」となり、さんずいが涙を表わすように、涙が出るような種類の気持ちとのことです。