駒田晶子『銀河の水』(2008)
一冊の歌集の中に、母親の病と死と、自身の妊娠と出産が詠まれている。人生の流れを正面から歌に刻むという覚悟があって、作者の顔がくっきりと見えて、いい歌集である。
赤ちゃんが「ベビースプーン」なるものを持たされて食事をする。
赤ん坊なのだから自由に食べればいいんじゃないかとも思えるがそうではない。ごく小さいころから道具を使わなければならない。それも食べるという根源的なところからその習慣を強制されるわけだ。(手食の国もあるけれど、ここは日本。)
目の前の赤ん坊が、大人社会の枠組みにはめ込まれ、窮屈そうにしている図。道具を与えられて、居心地悪そうにしている図である。
そのあたりの「かなしさ」は理解されるだろう。生老病死のかなしさの他に、逃れようなく社会に組み込まれるかなしさである。
リズム面も、その窮屈そうな赤ん坊のようなぎくしゃくした姿をしている。
七八五音の上句。「道具をもたさ/れてかなしいか」と切れる下句。結果論かもしれないが、内容を補強して、不思議な余韻を残している。