踵だけ靴から浮かし あのひととあのひとあわせてみたいと思う

片山晴之「街の風景」

 

 

これは第三回笹井宏之賞の候補作の歌。
面白い歌なのではないかと思う。
字空けの前後のとび方、つながり方が独特で、すごく柔軟なタッチがあって、「なんかわかる」という感じもする。わたしには新鮮に見えました。

せっかく一首評ブログなのでゆっくりはじめから。
一字空け前はわたしの動作、一字空け後はわたしの思ったこと、
あまりはっきり決めるのはなんですが、ほぼそう受け取った。

「あのひととあのひと」は解釈の幅がありそうですが、
わたしのそれぞれ別カテゴリの知り合い、仕事で知り合ったAさんと学生時代からの友人のBさん(たとえば)とかいうことかと思いました。
あの人とあの人が会ったらなんかいいのでは。面白いのでは。
そういうことを思っている。
普通に思うようなことではあるかもしれないけど、このことが短歌の中で言われるのも新鮮な気がする。
自分と向き合う、死と向き合う、あなたや君と向き合うとかとだいぶ違う。
「社会」とかでもなくて、人のまわりに流れている空気、気流のようなものを感じて言葉にしている。
軽く見えるけど、面白いところを突いている気がする。

で、上句もちょっと面白い。
「踵だけ靴から浮か」すって、どんなときなんだろう。
はじめは何かを覗き込もうとしてつま先立ちしているのかと思いましたが、
でもわざわざ「靴から浮かし」ているわけだし、どちらかというと、無意味に遊んでいるような感じなのかと思う。
それで、これと字空け後のつながりというと、わたしは「なんかわかる」以上のことをあまり言いたくなくなるのですが、
ぴょこっと背伸びするような感じと、「あのひととあのひと」の間をつないでみることの興味がふっと湧いてくる感じがリンクしているのかもしれない。

どうでしょう。ぱっと見以上に飛躍は大きく、あからさまに掘り下げないながら認識が深くて感度のよい、センスのある歌に思えて好きでした。

同じ連作からもう一首。

 

胃袋に牛肉・馬肉をつめこんだ体に小雨が吸いついてくる

 

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