生れたるばかりにて危険を知らぬ蠅われのめぐりにしばらく飛びつ

佐藤佐太郎『冬木』

 

 

ちょっと調べものをしていて、途中で偶然見つけたエピソードがよかったので、今日はその話です。
『佐藤佐太郎集 第八巻』(岩波書店)の月報(栞のようなもの)に森岡貞香さんが書いている「記憶」という文章からです。

昭和四十二年、とある場所で佐藤佐太郎が自作について語る講座があり、今日の歌はその場で配られたプリントにあったものだそうです。
たしかに面白い歌だと思う。蠅をこんな風に見るということが新鮮で、なにか不思議な感触がある。
森岡さんはその場にいて、会が終わってから途中まで一緒なので佐藤佐太郎とタクシーに相乗りしたとき、気になっていたこの歌のことを聞いてみると、「話してもいいよ」といって歌の秘密を話してくれたそうです。

 

 「あれは孫の歌なのだ」と言われ、つづけて「此の頃、孫が歩けるようになって部屋の中を動きまわって何にでも手を出して口へもってゆくし、目が離せない。火を見ても手を出して摑もうとする。危っかしいのだ」「可愛いのだがね」「孫をうたった歌って、よく見るがね、まあほとんどつまらない歌だね」と言われた。「蠅取りのあのぺたぺたしたリボンが部屋に下げてあるが、何となく初々しいような蠅が飛んできてすぐにくっついて了ったが、蠅にもいろいろあってね、見ていると上手に飛びまわって、リボンにくっつかないのも居るのだがね。危険を知らない蠅もいるよ」
 生まれたるばかりにて危険を知らぬ蠅。われのめぐりにしばらく飛びつ。とわたしが口ずさむと「孫はね、いつもめぐりにいるのだよ」と楽しげな顔になられた。危険を知らぬ、われのめぐり、生れたるばかり、と一首の歌の中の実体をもつ言葉をわたしは身辺に散らばせながら歌のおもしろさを味わったのである。

 

なるほどなと思います。
歌が持つ実体感、感じをつきつめていくと、むしろ「孫」という言葉が消えていく。
その過程がよくわかる。森岡さんの選歌もとてもらしい気がして、好きなエピソードでした。

ついでに言うと、
このエピソード内の佐藤佐太郎には、
俺の歌の秘密、聞いちゃう? とか、孫の歌とかダサくて無理じゃね? みたいなノリがわりと感じられて、まあ、森岡さんにはそのへんをいじる意図はないかと思いますが、いや、「あ、なんか得意気だな」くらいはあるような気もしますが、そのあたりも含めて、ほほえましいような感じがしました。

 

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