父の顔の幅だけいつも開いているカーテンが言う「待ちょうちゃったで」

若林美知恵 『逃げ水を斬る』 ながらみ書房 2020年

 

父の顔の幅だけいつもカーテンが開いているのは、娘が来てくれるのを待って、いつもそこから外を見ているからだ。本人は何も言わなくても、カーテンがそのことを証している。娘には父の「待ちょうちゃったで」という声が聞こえ、切なくもなるのである。

作者は、広島県福山市在住。

「待ちょうちゃったで」という、いつも父が使っている土地の言葉の響きがこの一首のかなめだろう。この言葉から、父と娘にかよう濃やかな情感が引き出される。

作者の実父は、交通事故により26歳で急逝。作者が2歳になったばかりの頃であった。二人目の父となった人は酒癖が悪かったようだ。一緒に暮らしたのは5歳からの二年間。そして、10歳になった作者は三人目の父と一緒に暮らすことになる。反抗期の真っ只中で、父も極端に無口な人だったためか、家族になるには随分時間がかかったと言う。この歌の「父」は、その三人目の父である。

介護していた母が先に亡くなり、残された父を今も介護する日々。

そのような歌の背景は知らなくてもいいことかもしれないが、やはり歌の背景を知ることで一首の世界が格段に広がるということがある。

 

「おじいさん」の呼び名が常となりてより狭まりたるか父との隙間

凍てて飢え病みしシベリアの九年余を語るなく父は卒寿すぎたり

春植えの野菜の苗を見しのみに「楽しかった」と父の呟く

「婆さんは?」尋ねることもなくなりて父のひと日のとろり過ぎゆく

 

作者に子どもができ、孫ができて、父のことを「おじいさん」と呼ぶのが普通のことになって、父との隙間が狭まったと言う。その父が負っているシベリア抑留の体験。極端に無口だったのも、あるいはその負っているもののせいであったか。これから植え付けようとする野菜の苗を見ただけで「楽しかった」と言う父。母が亡くなってからもう母のことを尋ねることもなくなった父。

そういう父を傍で見守る娘。そういう父に、いつ来るかといつもいつも待たれている娘。

父と娘の、血は繋がっていなくてもこういう繋がりのあることを思うと、胸が熱くなってくる。

 

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