わが体の秘密をいはば左膝蓋ひだりしつがい下部一寸余脛毛つむじ巻く

小池光『日々の思い出』

 

 

なにかすごい感じの歌ですね。
途中から漢字だらけで、でも最後は「つむじ巻く」とまとめられている。
音のとり方もちょっとややこしい。

膝蓋とは、膝の前にある平たい骨。いわゆる「ひざがしら」のこと。
その左の膝頭の「下部」、下のほうに、
「一寸余」、いっすん余り、約三センチメートルくらい、
「脛毛つむじ巻く」、すね毛につむじがあって、いつもくるっと巻いている。

特に聞かれていないが、わたしの体の秘密を言おうと急に言われ、
それは左膝下のすね毛が巻いていることだ、と披露される。
いちおうそういう歌だと思います。何のためにこんなこと言うのか、こんな歌を作るのか、それはいわく言いがたいですけど、
わたしはなんとなくこの歌が好きで、クールな感じがします。
どうでもいいことをいかに歌にするか、みたいな意味でも、たいへん上手くやっているものであるように思います。

韻律でともかく成立している。
「わが体の秘密をいはば」の初句二句が六・七で、ここまでは普通。
そこから「左膝蓋下部一寸余(ひだりしつがいかぶいっすんあまり)」と漢字を並べながら三句四句を貫く形で、句跨がり的な音の取り方はせずに一気に読み下す。はじめ戸惑いつつ、音がとれると気持ちよく、言いたくなる。

一かたまりに見える漢字は一つの長い名詞や複合名詞ではない。あるいはカタカナの名詞とか英語などだとよくあるのですが、ここでは漢字が連なりつつ説明が続いているところも面白く、また、「左(ひだり)」と「余」だけで「あまり」と読ませて音読み訓読みがまじっているところもポイント高い気がします。昔の文書とかでこういうのありますね。

結句は「脛毛つむじ巻く」の八音で、一種なにごともなかったかのように着地する。
人体の一部にくるっと巻く円は何か意味深なような気もして、「つむじ巻く」とするから着地できているのだとは思いますが、
基本的には内容は無だと思います。

無をちょっとした超絶技巧みたいにして一首にする。短歌って別になんでもないし、なんでもいいんだよっていうことを、かっこよく言っている、みたいにも見える。こういうのは下手に言うとわりときつい。上手く言うから意味がある。そんな感じがします。

同じ一連の歌。

 

かまきりの大鎌わたる月夜かな泣きたるのちにひとは眠りぬ

 

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