久我 田鶴子


夜の道吾子と歩けば月光に打ち粉をされて光る猫をり

佐藤モニカ 『白亜紀の風』 短歌研究社 2021年

 

「吾子」は「あこ」、わが子のことである。

夜の道を子どもと一緒に歩いてゆく。そこで出会った猫、月光の中に光って見える。

「月光に打ち粉をされて」という表現が面白い。

「打ち粉」は、刀剣の手入れをするときの砥粉とのこ、蕎麦やうどんをのばすときに振りかける粉、「汗知らず」やシッカロールを言うが、いずれにしても「打ち粉をされて」は、粉をかけられたことを言う。

月光を光の粒子と見る。「打ち粉をされて光る猫」とは、まるで光る粉まみれの猫を見るようではないか。

そんな猫に出会えたのも、「吾子」と一緒だったからかもしれない。幼い子と一緒にいると、一人では目にすることのできないような不思議なものに出会ったりする。

 

月はまだ平たきものと思ひゐるをさなごの描く月のしずけさ

 

月でさえ、幼子の目にはまだ平たいものと映っているのだから、他のものがどんなふうにその目に映っているのか計り知れない。大人になった者も、かつては持っていたはずの子どもの目。それを手放してしまった後では、幼子に助けられて、驚きながら子どもの目で見ていたものを確認するのかもしれない。

 

夏の日は白亜紀もまた近くなりとほくに恐竜れし声聞く

 

幼子の成長は早い。にわかに恐竜好きになったりもする。そのお蔭で、緑の生い茂る夏の日は白亜紀に近くなり、耳を澄ませば、遠くに恐竜の生まれた声を聞くことだってできるのだ。

作者が住んでいる沖縄。大きなシダ類も茂るヤンバルの森ならば、白亜紀に容易くワープさせてくれるかもしれない。

 

空へはすべて開かれ駆け抜ける風ありこれは白亜紀の風

 

明るく開放的な空のもと、風はどこへだって駆け抜ける。いま吹いている風は、白亜紀の風。日々、成長めざましい子どもとともに感じている風である。