久我 田鶴子


長男の妻と続柄書き添へぬ主たる介護者わが名の脇に

朝比奈美子 『黐の木』 飯塚書店 2020年

※「長男の妻」に傍点あり

 

詠いだしの「長男の妻」に付けられた傍点が目を引く。

介護関連の書類に記入しているところのようだ。主たる介護者の欄に書かれた作者の名前の脇に、続柄として「長男の妻」と書き添えたという。

書き添えながら感じている、なにか抵抗感のようなもの。それが、付けられた傍点に現れている。

「長男の妻」、つまりは「嫁」ということだ。長らく続いてきた家族制度のなかでは、親の介護は嫁がするものと当然のように見なされていたところがある。昭和から平成、平成から令和へと時代が変わっても、そう簡単には人々の考えは変わらない。

親の介護に関しての、「長男の妻」にかけられる期待。それは、当事者間のみならず、周囲からの期待であったり、世間の期待であったりする。そういう目を意識内に収めながら書類に記入する苦しさ。

主たる介護者となることを拒否しているのではない。当然のように期待されていることへの居心地の悪さ、ということなのかもしれない。

 

要介護4の身なれど自宅にて看取つてほしいとあなたは泣けり

じやんけんでグーを出すときてのひらはみえざる軸の硬きをつかむ

 

この一首の前後に置かれている歌。

その人は自宅で看取ってほしいと泣くのである。そして、その時の主たる介護者が「長男の妻」ということになる。長男、あるいは他の子どもに、とはならない。泣いて訴える「あなた」を受け容れるしかない。

後の歌は、じゃんけんのグー、拳の歌だ。ぐっと握った手のひら。その手のひらが摑むことになった見えない軸を、その軸の硬いことを思う。それは作者にとって了解しきれないものだったのかもしれない。一時的にもこらえるしかないことをじゃんけんで引き当ててしまったようでもあったか。

そして、その先にあったこと……。

 

老いははは施設に入りてわれの手にひとつしづけく鍵託されぬ

百歳にちかきひと日を生くる姑ときに両手をくうにひろげて

 

施設に入った人から託された鍵も、百歳に近い人がくうにひろげている両手も、なんとも切ない。「みえざる軸の硬き」とは、あるいはこのことであったか。