汗ばんで額に張り付く前髪を陽の差す中ではらってくれる

立花 はるき 『ひかりを渡る舟』 角川書店 2021年

 

和泉式部の歌「黒髪の乱れもしらずうち伏せばまづ搔きやりし人ぞ恋しき」を並べてみたくなった。

黒髪の乱れと、「まづ搔きやりし人」の恋しさと。黒髪のなかにたっぷりとエロスが仕込まれている式部の歌。薄闇の中で身もだえする女の姿が見えてくるようだ。

それに対して、現代のこの一首は、陽の差す中での出来事。

汗ばんで額に張り付く前髪をはらってくれるのである。汗で前髪が額に張り付いているなんて、幼さの残る感じだ。その前髪をはらってくれたのは、少し大人の彼のような気がする。

彼に会うために走ってでも来たのだろうか、汗ばんで額に前髪が張り付いていたのは。それをはらってくれる人の仕草に、おそらく彼女はキュンとしたのだろうな。

現代の恋にも女の髪が大事な役割を果たしているが、平安時代のそれとは当然のことながらかなり異なる。

 

唇は強い力じゃ開かれずやさしすぎても苦しいと知る

こころの場所問うとき君は全身と答えて触れてくれるこの肩に

 

キスをして、身体に触れて。恋は少しずつ深みにはまってゆくようだ。

触れられることで、幻想だったものが確かなボディをもつ。実体化してゆく。身体で確認し、こころで確認する。身体を確認し、こころを確認する。「こころの場所」は全身にあるのだから。

 

あの世から桜眺めるこころあり幾千もあり春は翳りぬ

君の手が君の死後にも灯となるから触れるやわく絡ませ

生き継いできたのに。今日の我が影もあなたの死後の冷感がある

 

生を謳歌しているように見えながら、すでに人の死を知っているようだ。「あなた」と呼ぶ人の死後を生きている「我」。「君」と呼ぶ人にも死がいつか来るということも知っている。なればこそ、やわく絡ませ君の手に触れるのだろう。

今、生きているということがこの上なく大切なものとして意識される。

ここに至って、平安時代の和泉式部とどこが違うと言うのだ。そんなふうに思われてきた。

 

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