西藤 定 『蓮池譜』 現代短歌社 2021年
病院を憎む祖父の行動である。
鮭のカマの大きいのを買って、帰ってきて、焼く。
一首の中に、助詞の「て」が三つ。普通、こういうことは避けるべき、とされる。それを敢えてしている。
病気の祖父には食事制限があって、病院からはもっと淡泊なものを摂取するように言われているのだろう。だが、好きなものを食べて何が悪いと言わんばかりに、祖父は「鮭のカマ大きを買いて帰りきて焼く」。
鮭は鮭でも、わざわざカマの部分、それも大きいのを選んで買って、家に帰ってきて、自分で焼く。この行為の念入りな描写が、祖父の病院に対する強い抵抗ぶりを表している。
病院に対する、と言うよりも、あるいは病気に対する抵抗であったのかもしれないが。
くもり日の砂黒ければ海黒く十年ここに祖父と暮らせり
祖父と十年いっしょに暮らしている孫には、鮭を食べることに執着をみせる祖父の気持ちがよく分かるのである。
大伯母の津軽訛りよ祖父からは幾年かけて剥がれし雲母
がんに慣れがんに馴れずに吐く祖父へかたち無きまでなすを煮るのみ
鮭だけはみずからで買うこの人に肩を貸したらこう重いのに
アメリカにいってこいよと俺に言う そのうちね、この鮭を焼いたら
津軽出身である祖父。津軽訛りの無くなっている祖父。癌を病んでいる祖父。長く病んで、癌に慣れても馴れずに、食べたものを吐いてしまう祖父。それでも、鮭だけは自分で買う祖父。アメリカに行ってこいよ、と孫を気遣いもする祖父。
そして、そういう祖父に寄り添う「俺」。
やがて、祖父は入院することになり、それから間もなく死んだ。
入院を決めてそれから早かった すうっと父が見舞いに混ざる
鮭のことことさらに言う弔辞なり長女の長男の任なれば
入院後の祖父に対して、「すうっと父が見舞いに混ざる」という、祖父と父との距離感。祖父の葬儀に際し、「長女の長男の任」として、孫である「俺」が弔辞を読んだこと。やや入り組んだ家族関係が見えるようであった。