業務用コーンフレーク買って食べ切れなかったの良かったなって

川村有史「退屈とバイブス」(『ねむらない樹 vol.6』)

 

 

前回と同じく、これも五十首連作「退屈とバイブス」中の一首。
一首だけ抜くとけっこうシュールに見えるかもしれない。

いきなり一首の眼目みたいなところでいくと、わたしとしては、
唐突で曖昧な「良かった」になるかと思います。
これは、自分が業務用コーンフレークを買ったけれど食べ切れなかった。そのことが「良かった」と言っているんだと思います。

「業務用コーンフレーク」、画像検索してみると1㎏のものとかあって、
見てるだけで食べ切れない感じがしてきます。賞味期限は半年とかあるみたいですが、
開封後はたぶんどんどん湿気ってくるし、毎日食べてれば飽きてくる。
「食べ切れなかった」は途中でギブしたということかと思う。
一人で食べてるのか、業務用だとすごく安かったりするから食費節約があるのか、
あるいは酔狂みたいなことなのか、
よくわからないから、やはり唐突なんですけど、この「良かった」の言い方に気になるものがある。

「良かったなって」と言いさしのような形になっていて、きっと(思った)(思う)とかが省略されている。
業務用コーンフレークを買って食べ切れなかったのは過去のこと。だから、
(今考えれば)食べ切れなかったの良かったなって(思う)
という感じなのかと思います。
リアルタイムで良いのとちがう。「今思えばあれよかったな」というニュアンスがある。

けっこうどうでもいいワンエピソードとして、あれよかったな。

わたしなりに歌のニュアンスを伸ばしていくと、こんな感じなのかなあと思います。

業務用のコーンフレークを買ってみようと思うところに、その人の生活の感じって滲んでくるかと思う。若いっぽいなとも感じる。「ポテトチップス」だとまたちがってくる。コーンフレークは毎朝のイメージがあったり、またアメリカでポピュラーというイメージもけっこうあるかもしれない。

この歌の「良かったなって」は、なにか、あまり人に説明する気がなく、でも自分の感じにその曖昧さも含めて忠実であるという印象があります。説明されるのと違うルートで、ノリみたいなものが伝わってくる。そういうところが好きな歌です。明示されないその人なりの文脈があることだけが感じれられる。

 

窮屈な靴でも・だからデザインが良く履く度に汚れていった

 

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