久我 田鶴子


ぴんと張る布をシャーッと切り裂いた 感情のこない先の先まで

王生いくるみ 令子 『夕暮れの瞼』 青磁社 2021年

 

大きな布をぴんと張り、鋏をあててシャーッと切り裂く。その時に感じる快感は、何なんだろう。

一枚だったものを切り裂くという、破壊的な行為がもたらすもののせい? シャーッという、胸のすくような音のせい?

ぴんと張った布をシャーッと切り裂く。それも「感情のこない先の先まで」。追いかけてくる感情を振り切って、その先へ逃げ切ってしまいたいかのようだ。

さまざまに心を働かせなければならないことに雁字搦がんじがらめの日常を生きているのにちがいない。このままではどうしようもない。現状を打ち破り、心をリセットしたい。そんな思いがあるのかもしれない。

 

樹に吸われ幹をのぼってゆく水の恍惚を思う疲れた夜は

 

春先、芽吹きの頃の樹は、盛んに水を吸い上げ、幹に耳を当てると音が聞こえるほどだそうだ。

水は樹に吸われ、一気に幹をのぼっていく。大きな力に身を委ね、上昇していくときの気分は、どんなに気持ちの良いことか。水にこころがあるなら感じているであろう恍惚感、それを思う。

疲れた夜に思うことである。自らの意思とは関わりもなく、上へ上へと引っ張り上げられる快感。自分で考えることを止め、他者に身を任せ切って恍惚となれるのなら、それを味わってみたい。そんなことを思ってしまうほどに疲れているのである。

だが、自らの疲れをそんなふうに表現できる人は、夜が明ける頃にはなんとか自力で頑張れるほどには回復しているにちがいない。