山下 翔


六十四まで生きえしこの身をよしとせむ生れ月七月は黄瓜の匂ひす

河野裕子『蟬声』(青磁社、2011年)

 

六十四歳まで生きることのできたこの身、この体をよしとしよう。生まれ月の七月は今年も黄瓜の匂いがする。

 

歌意は素朴ながら、誕生日をむかえて六十四歳になったみずからをしずかにも祝う、そしてこのわが身というものを、わが一生というものをかえりみる、そういう一首である。この一首からひと月も経たないうちに、河野は亡くなっている。

 

六十四まで生きえしこの身をよしとせむうまれ月七月は黄瓜の匂ひす

 

歌集のなかでは「生れ月」にルビがふってある。黄瓜はキュウリ。ふだん食べるのはまだ熟していないみどりの実である。それがやがて黄に熟す。いかにも夏の野菜で、なんとも青臭いような、生臭いような、植物のもつ水のにおいがする。生命ということであり、また生まれ月のおもいでのなかにまつわるこのにおいを、今年もたしかに感じ、ひとつらなりにみずからの一生をおもうのである。

 

生まれることと死ぬことと、生きてある身とそののちの身を対置させつつ、でも、もういいんだよ、とみずから肯う、あるいはねぎらう、ささやかにも力強い一首。