米川千嘉子『あやはべる』(短歌研究社、2012年)
「最後の試合終は」って部活引退、やがて受験勉強へきりかえていく、というような頃のうたである。「赤土を吐く」あたりにもでているが、のちのうたにも黴噴いた「キャッチャーミット」がでてくるので、野球であろう。土にまみれたユニホームを洗濯して、それが「ながく赤土を吐く」というところにうたの批評性がある。
最後の試合であるから、ふだんより力が入るということはあるが、それにしてもユニホームの汚れぐあいにそれほどの違いがうまれるだろうか。ここでは、ここまでにたまりつづけた《赤土》が、一気に噴出しやまない、そういう光景をおもいうかべる。それは子の「がんばり」をたたえるようなものではなく、「吐く」という動詞にもでているように、膿を出すというか、たまりたまった負なるものすべてを吐き出してしまう、それがおもいだされることと重なりながら、眼前にあるようだ。
子を、そしてそのめぐりの「部活」というものや、「学校」というもの、もうすこし広い範囲で「社会」ということや「日本」ということの、そのどうしようもなく汚い部分、そしてそのことにまだいくらも自覚的でない子の、けれどもそのなかで生きていかなくてはならない、その姿を、ながく見つめる一首でもある。