本多真弓『猫は踏まずに』(六花書林、2017年)
地下鉄にのっていると、近くで話す人の声がきこえる。はじめ聞くともなしに聞くのだが、聞いてみるとその話が「ドラマチック」なもので、ついつい聞き入ってしまう。じっくり耳をかたむける、というのも行儀がわるいので、しぜん「窃かに」というかたちになる。歌集では、
地下鉄でドラマチックな話だと窃かに聞けばドラマの話
とルビがふってある。あまりにドラマチックでひきこまれるわけだが、なんということはない、どこかで発覚したのだろう、「ドラマ」の話だったのだ。なーんだ、ドラマの話か、というわけ。それは「ドラマチック」にもなるはずだ。ドラマなんだから。
でも、案外、というか、ドラマに対してふだん「ドラマチック」とはいわないし、おもいもしない。けれどもドラマのような、という比喩が、説得力をもつくらいにはこのドラマはきちんと(?)ドラマであったわけで、そこのところに感心しているふうの一首である。
ここで「ひそかに」はいくつか書き方があって、ひらがなでもいいし、漢字ならたとえば「密かに」をあてることもできようが、掲出のように「窃かに」が用いられている。窃盗の「窃」である。剽窃の「窃」である。後ろ暗い感じが、それこそちょっぴりドラマチックである。
この「遊び」の感じは歌集全体にわたることで、それは解説を書いている師の岡井隆がいうところでもあるのだが、まさにその岡井隆のかげを、この「窃」の一字に感じるようにして読んだ一首であった。