生きるのが大変だった アルバムはひらけどひらけど大運動会

平山繁美『白夜に生きる』(本阿弥書店、2022年)

 

俵万智『チョコレート革命』(河出書房新社、1997年)に

 

家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み

 

という一首がある。わたしの家族にも、あなたの家族にも、アルバムがあって、つまり家族があり、そこに過ごした時間があり、おもいでがある。わたしとあなたが良ければそれでいい、というわけにはいかない。「だからなんなの」と言ってかたづけてしまうことのできない「重み」がある、という一首。

 

むろん、アルバムをもたない暮らし、あるいはもつことのできない生活というものもある。

 

今日の一首は、息子のアルバムで、アルバムはあるにはあるが、「ひらけどひらけど大運動会」という状況。運動会の写真ばかりが並び、すなわち、それ以外の、些細な日常や、こまかな行事、おもいでの写真は残っていない。そういう余裕がなかったのだ。

 

年ごとの運動会の写真がつらなりならび、さながら大運動会のよう。「生きるのが大変だった」と今、ふりかえっておもいながら、しみじみかなしい一首である。それでもこうしてアルバムが残っていることの、あるいは、そのときそのときで、写真に撮って残そうとしたそのおもいの「重み」が、ここにたしかにある。

 

母としてはもっと写真を残してやりたかった、という後悔はにじみながら、しかし、「生きるのが大変だった」とかえりみるとき、ここまで生きてこられてよかった、というある種の感慨もまた浮かんでくる。おなじ連作の、

 

貧しさは冷たい痛みと子は言えり〈さけるチーズ〉は縦に避けます

 

とともに、胸に迫ってくる。

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