本当は声に言葉にしたかつた空を歌つてにごしたあの日

中野迪瑠『青色ピアス』(いりの舎、2022年)

 

この歌集には、およそ9歳から39歳までの30年間の、1500首を超えるうたが収められている。その点、よくある歌集とはずいぶん違う。鑑賞者のわたしは、おのずからその人生に伴走するようなかたちで、うたを読んでいくこととなった。

 

きょうの一首は、そのおわり近く、「2020 38歳」の一連にはいっている。だからこそ、というべきか、わたしはこのうたのまえに、ずいぶん長く立ち止まった。

 

「本当は声に言葉にしたかつた」、でも、できなかった。「空を歌つてにごしたあの日」、と今ならば振り返っておもうことができる。でもあの日、わたしには「歌」しかなかった。「空を歌」うことが、精一杯だったのだ。

 

それでも、「歌」があって、よかったなあ、とおもう。「本当は声に言葉にしたかつた」こと、そうできたらどんなに良かったか。違っていたか。だとしても、「歌」があってよかった。一冊を読み通しながらこの一首にあうと、そういう気持ちになる。

 

その「空」の歌には、しぜん、「声に言葉にしたかつた」わたしが滲んでいるのだし、また、こうしてつよく、思い返すこととなったわけだ。「歌」というものが身に添っていつもあったからこそ、とおもう。

 

「にごした」とおもうのはしんじつ今のわたしだが、「あの日」のわたしにはそうすることしかできなかった、そのことを苦くおもいながら、しかし、今こうして振り返ることのできるわたしに辿りついたことを、尊いことともおもう。

 

時間をかけて、ふたたび「あの日」のわたしと巡り会えた、そのことが震えるような一首である。

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