冷蔵庫の麦茶を出してからからと砂糖溶かしていた夏の朝

穂村弘『水中翼船炎上中』(講談社、2018年)

 

このうたが収められている「火星探検」は、いわゆる母への挽歌一連である。そのさいごにおかれた一首が、きょうのこのうた。ひとつまえに「ゆめのなかの母は若くて」とあって、これもそういう母にまつわる一場面であろう。

 

むかしは麦茶に砂糖を溶かしていた、というのは、わりとある世代には共通のこととしてあるようだ。夏になると家で麦茶をつくるのは今でもそう変わりないことだが、この「砂糖を溶かす」はわたしには経験がない。

 

しかしジョイフルのドリンクバーで烏龍茶にガムシロップ垂らしておいしおいしと飲んでいたころをおもいかえせば、その味をなんとなく想像できる。もう最近はやらなくなったけれども。歌集のなかには、

 

母が落とした麦茶のなかの角砂糖溶けざるままに幾度めの夏

 

という一首もあって、このシーンというのが、夏の大事な場面として記憶されていることがうかがえる。「からからと」かきまぜる音がする。きっとなんでもない光景なのだ。

 

あの頃はおもいもしなかった未来が、誰にでもある。その「あの頃」が、どこかまぶしく、しかし切なく、ときおりこうして思い出される。かえってこない、母の姿が、いつまでも浮かんで消えない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です